
【動物としての人間を考える】『絶滅の人類史』雑感
人間は、自分たちと動物のことを絶対的に違うものとしてとらえがちなように思う。というか、人間が上で動物が下だとみなしているように思う。
ダーウィンの進化論が攻撃されたのも、その理論が間違っているというのが理由ではないそうだ。それよりも、人間がサルから進化したということ、つまり人間の先祖がサルであることを受け入れられない気持ちから攻撃されてしまったのだそうだ。キリスト教では動物のことを「人間が利用するために神様が作ったもの」だとしており、そんなものと人間が同じだなんて信じられなかったのだ。
でも、どうやら正しかったのはダーウィンの方らしい。人間はサルから進化した、れっきとした動物の一員なのである。
それならば、人間としてのエゴを捨て、動物としての「ヒト」を見つめてみよう。
二足歩行は欠陥だらけ
人類の特徴として直立二足歩行があるということは義務教育の範囲だ。たしかに、地球表面に対して体の軸が垂直になっている動物は人間しかいない。
直立二足歩行をするということは、体を四肢で支える必要がないということだ。つまり手を自由に使うことができる。だから、多くの人は人間とサルの間で大きく違うのは手だと思っている。しかし、実際に大きく違うのは足の方だ。
極端に言ってしまうと、サルの足は手のようになっている。つまり、親指がそのほかの指と向かい合っているのだ。だから、足でも木の枝をつかむことができる。一方、人間の足の指は手のそれと比べてとても短いうえ、親指もその他の4本の指と同じ向きになっている。だから、物をつかむことはほとんどできない。
なぜこうなったのかと言えば、長い指は歩くのに邪魔だからだ。親指だけ飛び出していたら地面に落ちているものに引っかかってしまう。だから、ヒトの足は歩きやすいように進化したのである。
このように直立二足歩行を進化させて来たヒトだが、直立二足歩行は決して利点ばかりなわけではない。いや、野生の中で生活していくうえではむしろ欠点の方が多いかもしれない。
ヒトが直立二足歩行をし始めた理由の一つとして、高い場所から見渡せば肉食動物をいち早く発見できるからだという説がある。でも、これは肉食動物の側からもヒトを見つけやすいということにもなる。まあ、肉食動物に見つかっても逃げ切れるのなら多少のリスクを負ってでも背を高くしてもいいのかもしれない。キリンがそうしているように。
しかし、残念なことに二足歩行は足が遅いのだ。あのでっぷりとしたカバでさえウサイン・ボルトと同じくらいの速さで走れる。たいていの動物は人よりも速いのだ。天敵から見つかりやすいのに逃げ足が遅い、これが直立二足歩行なのである。
おまけに、ヒトは直立二足歩行をするようになったせいで腰痛に悩まされるようになってしまった。さらに、すべての動物の中でもトップクラスで難産になってしまった。こうしてみると、デメリットのほうが多く感じてしまう。
こんな状態でヒトはどうやって生きながらえてきたのだろうか。答えは簡単、「食べられる数よりも多く子どもを産む」である。
おばあちゃん仮説
ヒトの女性には閉経というものが存在する。そして、50歳ほどで閉経したあと、80から90歳くらいまで生きる。これは動物学的にみると非常に珍しいことらしいのだ。
チンパンジーには閉経がない。つまり、死ぬ間際まで子供を産むことができる。でも毎年子供を産むわけではない。チンパンジーのメスは発情期にならなければ交尾をしないのだ。というのも、チンパンジーは授乳期間が4~5年と人間と比べても長く、その間は母親がひとりで子供の面倒を見てやらないといけない。その間は子どもを作らず、ひとりの子どもに集中するのだ。だから、チンパンジーの出産間隔は5~7年ほどになり、死ぬまでに6、7匹の子供を産んで育てるそうだ。
一方、人間はどうだろう。授乳期間が2~3年と短くて、しかも出産してから数か月もすればまた子供を産むことができるようになる。つまり、授乳期間中も出産できるのだ。だから、私たちの先祖はどんどん子供を作ってその数を増やしていったのだ。
そうなると、子供の数が多すぎて母親ひとりだけでは世話をしきれない。そこで母親の世話を手伝うのが「おばあちゃん」と呼ばれる存在だ。私たちヒトにとっておばあちゃんは当たり前の存在だけど、チンパンジーにはおばあちゃんという存在しないのだ。いや、おばあちゃん自体は存在はするんだけど、自分の子ども以外の世話はしない。だから、ヒトにとってのおばあちゃんとは全く違う概念をともなう存在なのだ。
生物学的な観点からすれば、私たちが生きる目的はただひとつ、子孫を残すことだ。これは、子どもを作れないのなら生きている必要はないということでもある。閉経するということは生物にとっての唯一の目的を達成することができなくなることを意味しているのだから、死ぬ間際まで子どもを育て、育てられなくなったら退場するというチンパンジーの方が動物的に見れば理にかなっている。
それに対して人間の女性は閉経して子どもを産めなくなっても長く生き続ける。これは、自分が子供を産むことはできなくても、自分の娘の子育てを助けることで生物の目標である「子孫を残すこと」に貢献しているからなのだ。
これがおばあちゃん仮説というものだ。
ちなみに、ヒトの子どもの離乳が速い理由も同様に子育てを手伝うためではないかと言われている。独り立ちできるまで母親が一人で面倒を見るチンパンジーでは、兄弟の面倒を見ることはない。一方、人間の兄弟は年齢が近く、また独り立ちまでは時間がかかるため年上の兄弟が年下の面倒を見るようになったと考えられるのだ。
「チンパンジーが人間の祖先」は間違い
人間と大型類人猿には共通点もある。
たとえば、ゴリラは「不倫」をする。メスがこっそり群れから離れて、群れの中で順位が低いオスと交尾するのだ。このとき、メスは普段の交尾と違って大きな声を出さないらしい。
あるいは、チンパンジーは「わいろ」を送る。チンパンジーは生まれた群れの中で一生を送るため、その中で立場を失うことは人生を通して大きな損失につながる。だから、ほかの仲間にエサを分け与えて味方を増やすのだ。
それでも、先ほど見てきたように直立二足歩行をすることも、子どもをバンバン産むことも人間だけの特徴だ。それに、第一わたしたちヒトはあんなに毛むくじゃらじゃない。やっぱり人間とサルの間には大きな違いがあるように感じる。
というのもこれは当たり前で、わたしたちホモ・サピエンスが直接チンパンジーたちとつながっているわけではないからだ。人類というグループには、絶滅してしまった種が25種ほどいる。それらの種の中に、よりサルに近かったものがいたのだ。
筆者の更科さんはこのことを次のように表現している。
『ヒトにもっとも近縁な生物から25番目に近縁な生物まではすべて絶滅していて、26番目に近縁な生物(チンパンジーとボノボ)と比較しているからだ。』
だから、ヒトとサルは全く別物に見えるのだ。
よく人の祖先がチンパンジーだと思っている人がいるが、それは違う。わたしたちホモ・サピエンスが人類の中で生き残った最後の一種であるのと同様に、チンパンジーはチンパンジーの系統の中で生き残ってきた生物だ。ホモ・サピエンスが人類とサルの共通祖先ではないのと同じように、チンパンジーもまた人類とサルの共通祖先とイコールではない。だから、人間の祖先はチンパンジーというのは間違いなのだ。
お互いに数十万年間進化してきた結果、今がある。そういう意味で、やっぱり人間はチンパンジーたちと変わらない、動物の一種なのだ。
地球上に生きられる生き物の数には限界がある
まだ誕生したての時、人類はサルとほとんど変わらない状態だったのだろう。そこから、26もの種類がでてくるなかで、徐々に今の私たちが形作られていった。それは明確に区切ることができるものではなく、グラデーションのように気づかないうちに変化していくようなものだったろう。
そして、ホモ・サピエンスだけが生き残った。つまり、残り25種の人類たちは絶滅してしまったのだ。なぜ人類はみんなで生き残ることができなかったのだろう。なぜ私たちが生き残ったのだろう。
その答えが、おそらくこの本で筆者が最も伝えたいメッセージだ。
『地球は有限であるのだから、生きていける生物の量には限りがある。ホモ・サピエンスが増えれば、その分、ほかの生物が死ななくてはならない。どんなに優しい気持ちを持っていても、それは変えることのできない真理だ。』
現代は6度目の大量絶滅と言われている。それは、人類の増加とリンクしているように思える。大量絶滅を食い止めるためには、地球温暖化を止めるのではなく、人類の数自体を減らさなければならないのかもしれない。
いや、地球に生きていける生物の数が決まっているのなら、人類自身も無限に増えることはできない。でも、いきなり「今年から子どもを産むことを禁止します」なんてことをしてもうまくいかないことは中国の一人っ子政策が証明している。「ランダムに30億人に死んでもらいます」なんてこともできない(これを秘密裏にやっていると主張しているのが陰謀論だ)。
人類が動物である以上、そして動物の目的が子孫を残すことである以上、人間はその数を増やし続けるだろう。そして、地球に生きていける生物の数に限りがある以上、限界を超えたときには人類は消えなければならない。
わたしたちは着々と「絶滅」への道を歩んでいる。そうせざるを得ない運命を背負っているのだから。
今回の参考図書
『絶滅の人類史』
- 更科功 著
- NHK出版新書
- 2018年1月10日 第1刷発行
- ¥902(税込)