私の都市伝説に対する考え方

私の都市伝説に対する考え方

2021年2月2日 5 投稿者: マツシタ
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コロナウイルスが流行してからというもの、急速に陰謀論が市民権を得たような気がする。

Twitterなんかを見ていても陰謀論に関するツイートがバズってたりする。そして私が数か月前にふらっと書いた都市伝説関連の記事のアクセスが今になって伸び始めている。みんなが都市伝説に興味を持っているのだなと身をもって実感しているわけです。

数か月前に都市伝説系の記事を3本ほど連投したのは、それに関する本を読んだから。ほとんど思い付きで、ぽんと書いたようなものだった。

でも、みんなからの需要があるのならもう少し都市伝説に関する記事を書いていこうかなぁなんて思ったわけだ。

でも、それだけじゃない。みんなの都市伝説に対する姿勢に違和感を覚えるのだ。

肯定派も否定派も、情報に対する向き合い方がおかしいような気がするのだ。だから、私は中立的な立場で、あくまでも検証していくような新しい都市伝説に対する考え方を提唱していきたい。そう考えたのだ。

そして都市伝説について書いていくにあたって、自分の都市伝説に対する考え方を説明したほうがいいと思った。

結論から言ってしまうと、私はすべての都市伝説をまじめに信じている陰謀論者じゃない。だから勘違いされても困るし、デリケートなテーマもあるから炎上しても嫌だ。

勘違いされないために、ここで私の都市伝説に対する立場を明確にしておこうとおもう。

 

 

私の中ではSF小説のようなもの

私が都市伝説に興味を持ったのはYou Tubeがきっかけだった。数年前から都市伝説系You Tuberなるものが流行っていて、私も軽いノリで動画を見てみたら、想定外に面白かったのだ。そこから複数の都市伝説系のチャンネルで動画を見ている。だからほかの人よりも都市伝説に詳しい自信もある。

でも、それらの都市伝説をすべて信じているわけではない。私は都市伝説をフィクションとして楽しんでいるSF小説を読んでいるようなものだ

空想の世界が楽しいという感覚は多くの人にわかってもらえると思う。そうでなければ、スターウォーズがあんなにはやるわけがない。私にとって、多くの都市伝説はスターウォーズみたいな感じだ。

でも、これはありそうだなと感じる都市伝説が全くないといってもウソになる。中にはこれは!と思うものもある。そうでなければ面白くない。

 

 

柔らかくすればリアリティが出てくる?

たとえば、日ユ同祖論という都市伝説がある。日本人の祖先はユダヤ人だとする説だ。

この理論には根拠がきちんとある。日本語って特殊な言語で、同系統の言語がない孤立した言語だと位置づけられている。つまり、似た言語がないのだ。これは現在の言語学的結論である。

しかし、ユダヤ人の母語であるヘブライ語には日本語と多くの共通点があるというのだ。カク(書く)、スム(住む)、トル(取る)、ニクム(憎む)など、そのままの発音で同じ意味をあらわす単語が多く存在しているという。ここでは割愛するが、そのほかにも多くの言葉が日本語とユダヤ語で似た発音になっている。

とはいっても、ポルトガル語のカボチャやタバコ、コンペイトウをはじめ、そのほかの言語にも日本語と共通の意味・発音を持つものはある。これだけでは信ぴょう性が薄い。

だが、ヘブライ語の場合はそれだけではない。日本には「わっしょい」「よいしょ」「やっほー」など、日本人でも意味が分からない掛け声が存在する。これがヘブライ語だと意味が通じるというのだ。わっしょい=神が来た、よいしょ=神が助けてくださる、やっほー=神様!

お祭りで神様に祈りをささげるところからこの掛け声が来たとすれば、なるほどスムーズに納得できる。

その他にも、相撲の掛け声「はっけよいのこった」もユダヤ語で意味が通じる、もう少し胡散臭いところで行くと君が代もユダヤ語で意味が通じる。はっけよいのこったもお祭りの掛け声と同じく意味がよくわからないし、君が代ももっとわかりやすい日本語で書いてもいいような気がするものだ。

単語が共通しているだけでならまだしも、日本語で意味不明なものの意味が通るというのは偶然で片付けられないような気がする。これはなかなか信ぴょう性が高いのではないかと思っているわけです。

私は一般に語られている都市伝説をもう少し柔らかくすればリアリティを帯びてくるものがたくさんあると思っている。

日ユ同祖論でいえば、日本人すべての祖先がユダヤ人とするのは極端だけれど、何千年も前にユダヤ人の一部が日本に渡り、もともといた日本人の祖先と共存・混血が進んだ。その過程で文化の一部も受け入れられ、また継承されたと考えれば現実的な話に聞こえないだろうか。

ユダヤ人が迫害を受けてディアスポラ(離散)したということを学校で習ったはず。その一部が日本に流れ着いていたとしても不思議はないのではないだろうか。

このように、都市伝説をそのまま受け止めるのではなく、一歩立ち止まって考えてみる。そういう発信をしたいのだ。

都市伝説をそのまま鵜呑みにしてしまうのはそれはそれで危険だ。だから、それって本当なの?とか、こうも考えられるんじゃないの?そうすれば事実に近くなるんじゃないの?とか、そういう思考をはさんでかみ砕くことが必要だと思うのだ。

そういう発信をして行けたらな、と思っている。

 

 

みんなが正しいと思っていることは案外もろい

一方で、都市伝説否定派の人たちは「都市伝説」という文字を見ただけで攻撃に走る気がする。そんな話ありえるわけないだろう、お前らは洗脳されている!と。

そういう人にも信じているものがある。きっと多くの人が考える「普通」や「正しさ」をよく勉強した人なのだろう。

それもひとつの信仰だといえないだろうか。自分が知っている範囲だけで常識を判断してしまう。それもそれで安易な行動だと私は思う。

みんなが正しいと思っていることって案外正しくなかったり、簡単に変わってしまったりする。

例えば、社会人世代の人なら鎌倉幕府の成立は1192年だと覚えたはずだ。「いい国作ろう鎌倉幕府」である。しかし、現在の見解では鎌倉幕府の成立年は1185年ということになった。そして、学校の教科書もこれに従って書き直されている。今の学生たちは「いい箱作ろう鎌倉幕府」で習っているのだ。

学校で教えられることはあくまで「その時点で正しいと思われること」。新しい事実が判明すれば、「正しい事実」と思われていたものはあっけなく変更される。

日本人は特に「普通」をよく気にするし、それに縛られる。みんなが「普通」であろうとする。でも、普通なんてものはただの思い込みだ。日本人的感覚でいえば昆虫を食べるなんて気持ち悪いと思うのが「普通」だろうが、南米なんかでは「普通に」昆虫を食べている。

今まで見たことがないものを見たときは拒絶するのではなく、とりあえず調べてみるのが正しい対応だろう。ネット時代なのだから、そんなことくらい簡単にできるはずだ。

それで間違いだとわかったのなら、それでいいではないか。わたしは都市伝説否定派の人たちの過剰な拒絶反応と「普通」への信頼にも違和感を抱いている。

 

 

大切なのは考えること

今年から大学入試共通テストなるものが始まった。思考力や記述力を問うため、従来のセンター試験にはなかった記述式が導入され、問題傾向も変化していくようだ。

文部科学省も言っているのだ。これからは考えることが大切だと。

私は都市伝説はフィクションであると同時に物事の新たなとらえ方を提示するものだと思う。真実とは思えないものでも、そんな考え方もできるのか!と感心しながら見るものもある。

都市伝説には「わからないことを理解し、隙間を埋めようとする」性質があるように思う。失踪事件の真相はこうだ、宇宙の果てはこうなっている、あの政治家がバカみたいな政策をとるのはこんな理由があるからだ…。

大事なのは自分の頭で考えることだと思う。その本質を都市伝説は持っているように思う。

私が都市伝説の記事について書こうと思ったのはみんなが「普通」と思っていることについて本当か疑い、自分の頭で考えるきっかけになればいいと思ったからだ。

無条件で信じてしまうのも、無条件に拒絶するのも正しくないあくまで中立的な立場から考えることが必要なのだ。

だからただ都市伝説を紹介するうえで、中立的な立場で検証し、私なりの解釈も書くようにしたい。

そして、それはあくまでもたくさんある考え方のうちのひとつでしかないと思ってほしい。私の考え方に共感できなくてもいい。あなたが自分で考え抜いた結果なら、それが正しい

私が提示したいのはあくまできっかけなのです。

 

 

あとがき

ここまで思いつくままに任せて書きなぐってきたが、最終的には「自ら考えることが大切だ」というところにたどり着いた。なんだか都市伝説はフィクションとして楽しんでいるといいながら都市伝説肯定派みたいな終わり方になっている気がする。

なぜこのような終わり方にしたかと言えば、ここが最近都市伝説が広がりを見せている原因とつながってくると思うからだ。

自ら考えることが大切ということは、逆に考えれば自ら考えねばならないような状態になっているともとれる。絶対的な正しさが、全員が信じられるよりどころがなくなってきていると思うのだ。だからこそみんな信じてしまう。

そうではなく、自分の頭で考えること。安易に信じてしまうのではなく、一歩立ち止まってそれが本当に正しいのか検証してみること。それこそがいま、求められているのではないだろうか。

これを伝えたくて、この記事を書いた。そして、これからも中立的な立場で検証していくという新しい立場から都市伝説を語っていこうと思っている。