
【環境問題と民主政治のジレンマ】なぜ環境問題対策は進まないのか
地球温暖化が進んでいるといわれ始めてから、すでに長い月日が経っている。二酸化炭素濃度の上昇によって地球の平均気温は上がり続けていることは、すでにほとんどの人が知っていることだろう。
それによって南極や北極の氷が解けて海水面が上昇するという予測は、すでに現実のものとなりつつある。溶けた氷の上に載って海を漂うホッキョクグマの画像を見たことがある人も多いはずだ。あるいはツバルのような南太平洋の国々の国土はほとんどが海の底に沈んでしまうといわれていることを知っている人もいるだろう。
日本だって他人事ではいられない。日本の大都市の多くは海岸沿いの低い場所に発達しているのだ。気温が2度上昇すると名古屋や大阪の全人口のうち25%が家を失うといわれている。

こちらは関東地方で5メートルの海面情報が起こった場合に海の底に沈んでしまう場所を示した地図。
このように、このまま地球温暖化が進んでいけば大惨事が起こることはわかり切っているはずだ。それなのに、地球温暖化対策は遅々として進まない。アメリカに至っては、気候変動への具体的な取り決めを定めたパリ協定から離脱してしまった。どうしてこんなことが起こってしまうのだろう。
私は、民主政治に限界があるからだと思う。今回は環境問題対策と民主政治が抱えるジレンマから、民主政治について改めて考えてみたいと思う。
環境問題対策のむずかしさ
環境問題の難しさは、成果がすぐには見えにくく、なおかつその成果が全世界に拡散されてしまうことにある。
そもそも、民主政治は長期的な目標が後回しにされやすい性質を持っている。次の選挙で票を獲得するためには目に見える成果を上げる必要があるからだ。だから短期間で解決できる課題を優先しやすい。
環境対策のために「二酸化炭素排出量を10年後に半分にする」ために努力したところで、それが本当に進んでいるのかは実感することができない。だから、国民にしてみれば我が国のリーダーは何もしていないかのように感じてしまうのだ。
同じことは規模についてもいえる。自国のみが二酸化炭素濃度を減らすための努力をしたところで、隣の国が大量の二酸化炭素を放出していれば、地球全体で見れば二酸化炭素の濃度は増え続けることになってしまう。いくら自国の二酸化炭素排出量が減ったとしても、隣国から汚染物質が飛んで来たら国民にとっては空気が汚れたように感じるに違いない。
このような場合に「我々はこれだけ二酸化炭素を減らした!」といっても国民には実感がわかないだろう。そのような「わかりにくいこと」を頑張ってやったところで次の選挙に選ばれる可能性は高まらないだろう。
加えて、いくら未来の世代のためとはいえ国民を制限するような政策をとれば支持してもらえないことは明白だ。我慢させられるくらいなら、環境問題対策なんてしない候補者に投票してしまう人も多くいるはずなのだ。
だから環境問題を緩和させようとするよりも、その環境に順応しようとするほうが支持される。「我慢」しなくていいから。
そのことを考えると、政治家にとっては先々の問題よりも直近の問題のほうが、地球全体の問題よりも自国の問題のほうが重要なのだ。
政治家は選挙で当選しなければ生活していけない。だから票を集めるための行動をとるのはある意味当たり前のことだ。これは政治家が悪いとも言えないところがある。そもそも民主政治というやり方に限界が来ていると思うのだ。
ポスト民主政治を考えるべきタイミング
近年のトレンドは「自国優先」だ。その旗手がアメリカのドナルド・トランプ大統領だ。「アメリカファースト」を公言すトランプ大統領は自国に雇用を取り戻すためにメキシコとの国境に壁を築いたり、中国から入ってくる安価な輸入品に高関税をかけたりと自国優先主義に沿った政策を展開している。
さらに、イギリスのEU離脱もこのトレンドに乗ったものだといえるだろう。EUに加盟している国同士では、パスポートなしに国民が行き来できる。そのため、イギリスではEUに加盟している貧しい国からやってきた出稼ぎ労働者に雇用を奪われ、失業率が上昇して社会問題となっていた。また、イギリスとしては彼ら移民に対しても公共サービスを提供する義務がある。そのため、イギリス国民の負担はどんどん大きくなり、不満がたまっていたのだ。その結果としてイギリスは「自国民を守るために」EUを離脱したのである。
このほかにも自国優先主義を唱える政治家が次々と台頭している。「フィリピンのトランプ」ドゥテルテ、「ブラジルのトランプ」ボルソナロらはその筆頭だ。また、ヨーロッパではイギリスのEU離脱に触発されて、様々な国でEU離脱の可能性について議論が戦わされている。
予想外のトランプ当選で世界中の政治家が気づいたのだ。自国の民衆にたまっている不満に目を向けてやることで支持を得られると。
こうなってしまった以上、民主主義は当てにできない。地球温暖化以外にも、地球規模で解決しなければならない問題は山のようにあるのだから。食糧問題、水不足問題、エネルギー問題…。これらを放置して突き進めば、待っているのは人類の破滅ではないだろうか。
もちろん自国の問題は解決しなければならない。しかし、これら世界がひとつになって取り組まなければ解決できない問題はどうするのだろうか。国単位で取り組まなければならない問題とともに、全世界規模で取り組まなければならない問題が散乱しているのが現在の世界だ。このどちらともを並行して解決していくことは、現在のやり方では難しい。何か新しいやり方が必要なのは明白だ。
問題解決までに残されたタイムリミットへのカウントダウンは、今この瞬間にも刻まれている。
いまこそ民主主義を見直し、新しいやり方を模索していくべきタイミングなのではないだろうか。それは、人類の未来を左右しうる、重大な決断となるのではないだろうか。
今回の参考図書
最後に、今回の参考図書を紹介しよう。世界的に著名なイギリスの宇宙科学者・天文学者であるマーティン・リース氏の著書『私たちが、地球に住めなくなる前に』(作品社)が今回の参考図書だ。
本書は地球環境問題のみに限らず、人類の宇宙進出や科学技術の未来について予測・提言しており、今回紹介できなかった内容にも非常に示唆に富んだ指摘があった。
興味が湧いた方は、ぜひ一度手に取ってみてほしい。
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