【塾との付き合い方】私が学校や塾・予備校よりも独学が最強であると思う理由

【塾との付き合い方】私が学校や塾・予備校よりも独学が最強であると思う理由

2020年9月11日 0 投稿者: マツシタ
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日本においては、受験期になると塾や予備校に入るのが普通だと思う。

もちろん、塾や予備校は素晴らしい教育を提供してくれる。ノウハウはそろっているし、必要な知識はひととおり網羅してくれる。勉強するための環境も、自習室から受講室まで整備されている。塾や予備校に入ることは、メリットのほうが大きいだろう。かくいう私も、受験生時代には塾に通っていた。

しかし、あえて言いたい。勉強とは自分でするものであると。

 




 

教育機関は「あなた」のために講義はしてくれない

私が学校や塾・予備校などの教育機関に頼ってはいけないと考える理由。それは、これらの機関から提供される教育はあなたにたいして最適化されていないからだ。

日本の教育は、基本的にひとりの教員に対して数十人の生徒が教わるといういわゆる「授業スタイル」で行われる。この数十人に対して提供される授業は、あなたのために行われてはいないのだ。

その授業に参加している数十人の中には、その授業にはついていくことが困難なほど勉強の進度が遅れているような生徒もいれば、授業の進度が遅すぎたり内容が低レベルすぎてはっきりいって授業を受けなくてもいいような生徒もいて、平均的な生徒もいる。

おそらく、多くの授業は平均的な生徒の学力レベルに合わせて授業を組み立てていると考えられるので、優秀な生徒や落ちぶれた生徒にとってはその授業は意味がない。優秀な生徒は授業を無視して先へ進んでいったほうがいいだろうし、落ちぶれた生徒は基本から復習しなおしてからでなければ授業を聞く意味がない。

さらに極論を言ってしまえば、数十人の生徒一人一人の勉強の進度がすべて同じということはあり得ない。苦手な分野が異なる生徒もいれば、内容は理解できているがスピードが足りない生徒もいるかもしれない。ひとりひとりの改善すべきポイントは、少しずつでも異なってくるはずなのだ。

そうなってくると、当然取るべき勉強法も異なってくる。みんながみんな同じことをしたって勉強ができるようになるわけがないのだ。考えてみれば当たり前のことだと思う。

だが、教育機関はひとりひとりに合わせた教育はしてくれない。生徒の人数が教員のそれよりも圧倒的に多い以上、一人一人にコミットした教育は不可能なのだ。

 




 

私の受験期の塾との付き合い方

とはいえ、塾や予備校などが優れた環境であることには間違いない数十年にわたって蓄積されてきた出題傾向などのデータベースや問題などの資源、整備された環境は、自分一人ではなかなか手に入れられるものではない。これだけのメリットがあるのだから、私も塾にはメリットがないとは言えない。

それでは、どうするか。これらのいいところだけを利用してやればよいのだ。

参考までに、私の受験期の塾との付き合い方について公開しようと思う。

私が塾に通い始めたのが高2が終わって高3になる直前の春休みだった。私が入塾するとき、この時期に塾に入る人は少ないといわれた。普通、この時期には基礎を習得し終えてより実践的な知識やテクニックを学んでいく段階だったのだ。

しかし、当時の私は基礎から全くなっていなかった。なにしろ、センター同日体験模試で英数国すべて半分を割り、あわてて塾に入ることを決意したような状況だったのだ。

そのため、私は基本的に塾の自習室に入り浸って独学していたのだ。全教科の基礎から徹底的にやり直し、みんなに追いつこうと必死に勉強した。学校が終わってすぐに塾の自習室に直行し、塾が閉まる夜10時すぎまで自習室から一歩も外に出ないほど缶詰めになっていたものだ。学校でも授業の内容には目もくれず、ひたすら内職して基礎を叩きこんだ

そんな猛勉強のかいあって、夏休みに入るころには周囲よりも成績が良くなるほどにまで勉強ができるようになっていた。そこで、塾長の勧めを受けていくつかの授業をとってみた。しかし、初回から私の中に違和感があった。この授業は今の自分には必要ない内容ばかりやっていると感じたのだ。

そのため、私は学校と同様に授業の内容を受け流しつつ内職し、自分の勉強をしていた。そして、その口座が終わってからというもの、塾で授業を受けることはなかった。再びひたすら自習室で独学する日々に逆戻りしたのだ。

その結果、1年前にはセンター試験で半分取れなかった私は、現役時のセンター試験で86%の得点率をたたき出し、地方旧帝国大学への入学を勝ち取ったのである。この結果は、塾や学校の授業に見切りをつけ、自分に最適な勉強法を選択できた結果だと自負している。

それでも、私は塾に入ってよかったと思っている。そうでなければ、塾なんてとっととやめていただろう。

その理由が、前述の環境面での恩恵である。

まず、自習室。勉強できる場所はたくさんあると思うかもしれないが、集中力がない私にとって集中できる場所を見つけることは容易ではなかった。少しの話し声でも集中力がさえぎられてしまう私にとっては、学校の教室や書店の勉強スペースはおろか、市民図書館でさえも集中力を持続させることはできなかった。そんな私でも集中できたあの静寂に包まれた自習室は、私の受験成功に不可欠だったと思う。

そして、塾に蓄積された膨大な量の問題資料も徹底的に利用させてもらった。過去問や同系統の模試の過去問まで、「これだけ演習した生徒は初めてだ」と塾長に言われるほどにほとんどを解きつくした。この膨大な問題資料は、自分でそろえることは不可能であろうし、学校でもなかなか手に入るものではないと思う。

このように、私は独学を基本としつつ、その過程で必要な時に塾のリソースを利用させてもらったあくまでも受験勉強の主導権は私にあったのだ。

みなさんも学校や塾に主導権を持たせていいのか、ただ与えられるものをこなしていくだけで自分の成績が上がるのかどうか、今一度考えてみてほしい。

 




 

自分で学ぶ姿勢がなければ、受験が終わってから苦しむことになる

最後に、独学に対してのモチベーションが高まる話をしておきたい。

じつは、独学力が生きるのは受験が終わってからだ。独学力がないと、受験が終わってから苦しむことになる。独学力がある人とない人では大きな差が開くことになる。

社会の変化するスピードがどんどん加速していることは利いたことがあるだろう。この変化についていくためには、常に学び続ける姿勢が重要になってくる。現代社会において、自ら学ぼうとする姿勢は必須なのだ。

しかし、いわゆるエリートコースをたどってきた秀才たちには、こうした姿勢がないことが多かったりする。つまり、幼少期から完璧な環境で、完璧な勉強法を享受し、わからないことがあれば質問するだけでわかりやすい解説を懇切丁寧に教えてもらえるのだ。

このような環境に置かれていたエリートたちは、最適なやっり方を一から考える習慣を身に付けずに成長してしまう。その代償は、社会に出てから跳ね返ってくる。考えることを放棄したエリートたちは、その最高の環境を外れた途端に何もできなくなってしまい、壁にぶつかったまま落ちぶれていってしまうのだ。

このような、将来を期待されながらも壁にぶつかったまま「元エリート」となってしまう人は後を絶たない。

独学によって自分で考える癖をつけておけば、受験勉強を突破しやすくなるだけでなく、社会に出てからも周囲から抜きん出やすくなるのだ。

 




 

今回の参考図書

あとがきにかえて、今回の参考図書を紹介したい。

今回参考にしたのは、千田琢哉氏の著書『生き残るための、独学。』(学研)である。

この本は受験勉強に特化した本ではなく、独学のメリットや独学を仕事や恋愛に生かす方法までをまとめた本となっている。まさに「独学の教科書」ともいうべき本である。人生を変えたいと思っている方には、響くものが多くあるはずだ。

今後ますます必要になってくるであろう、独学力。これを身に付ける入り口としても、非常に有用な本である。ぜひいちど手に取ってみてほしい。