日本社会の構造に共通する「法則」

日本社会の構造に共通する「法則」

2020年8月27日 4 投稿者: マツシタ
Pocket

日本社会といわれたら、何が思い浮かぶであろうか。年功序列、先輩・後輩、村八分…

これら日本社会に特徴的にみられる社会構造。これに共通点を見出すことはできないだろうか。「公式化」することはできないだろうか。

そんなことを考えてみると、一見全く別の原理で動いているように思えるような社会構造にも、根源的な部分で共通点が見えてくる。

今回は、そんな日本社会の根底を走る2つの法則について考えていきたい。

今回の参考図書

 




 

法則① 「資格」と「場」の法則

「資格」とは

最初の法則が「資格」と「場」の法則だ。

「資格」とは、個人個人が持つ性質や特性をいう。〇〇家出身、男性女性といった生まれ名がにして持ち合わせる「資格」もあれば、弁護士や医者のように生まれてから事後的に獲得した「資格」も存在する。

「資格」重視の社会とはどのようなものだろうか。江戸時代の日本は「資格」重視の社会だろう。武士の家に生まれたら生涯を武士として過ごし、農民の家の出は農民として生涯を終える。「資格」によってその人の人生の大半が決められるといえる。厳格なイスラム教徒は男女を厳格に分けることで知られる。学校はもちろんのこと、飲食店でも男女がわけられる。これも「資格」社会といっていい。

現代の日本は「資格」社会ではない。これまで見てきた通りそれは明らかだろう。それでは、日本社会を定義づけるものは何であろうか。

それが「場」である。

 




 

「場」とは

「場」とは「資格」の違いを問わず、個人が集まって形成された一定の集団のことをいう。

その最たる例が会社だろう。事務員、医者、看護師といった様々な「資格」をもった人が集まって病院という「場」を作るのである。

日本では自己紹介の場面で記者であるとかエンジニアであるといった「資格」よりも、まず自分が何という会社に属しているかを紹介するはずだ。日本が「場」を優先する社会であるということは、ここから明らかだ。

そして、中でも重要なのが「場」にいる時間的な長さだ。「場」にやってきた順番と言い換えることもできるだろう。

これは、年齢とは関係がないことに注意しなければならない。年齢が最重要であるならば、新入社員の中にも年齢によって上下関係が生まれるはずだ。しかし、そうはならない。彼らは「新入社員」としてフラットにくくられ、「同期」として時に交友関係を築き、時にライバル関係を持つ。これは年齢よりも「場」にいる年数が優先されている最たる事例だ。

このような社会構造になっているからこそ、日本では転職がしづらいのだろう。「場」にいる年数が少ない場所へ移ることはいつでもその「場」において弱者になることを意味する。中高生が転校生をいじめるのもこの「場」の意識によるものだということができるだろう。

そういった意味で、日本における村八分は「場」で生きていく資格を奪われることを意味しており、社会的な死を意味するといっても過言ではない。だからこそ「場」に残るために、村八分を受けないために同調圧力が幅を利かせているのだと説明できる。

 




 

法則② 「タテ」と「ヨコ」の法則

 

日本は「タテ」

そしてもうひとつの法則が「タテ」と「ヨコ」の法則だ。

「タテ」とは、先輩・後輩の人間関係が縦方向にどんどんとつながっていくような人間関係だ。自分には先輩と後輩がいて、その先輩にも先輩がいる。その先輩の先輩にも…というようにどんどんと先輩・後輩関係が連なっていくのである。これはもちろん、日本に見られる社会構造・人間関係だ。日本はタテ社会なのだ

ここで注意しなければならないのは、この先輩・後輩関係は先輩が権力を持って後輩に命令を下すような人間関係ではないということだ。それは軍隊の人間関係だ。日本以外の国にも共通してみられるものであり、特別日本に特徴的なものではない。

タテはむしろ相互が依存しあっている人間関係を示すものだ。後輩が先輩に従うだけではなく、先輩側も後輩をかわいがる。また後輩もただ従うのではなく、意見を取り立ててもらうこともできる。稟議書という制度がいい例だ。「タテ」の人間関係は、こうした結びつきを持った相互依存関係であるのだ。

 




 

「タテ」の連鎖と小集団

このタテの人間関係が数珠つなぎになっていくつもつながることによって、日本社会は構成されている。小集団があって、その中にタテの人間関係がある。その小集団がいくつか集まって中集団が形成される。さらに中集団が集まって大集団が形成される。これが日本の典型的な社会構造だ。

会社で考えればわかりやすいだろう。課という小集団がいくつか集まって部署という中集団を形成する。いくつかある部署が集まることで、会社という大集団となるのだ。

この社会の基礎単位である小集団にはふたつの特徴がある。

ひとつは、小集団の影響力の強さだ。会社で考えるとわかりやすい。日本の会社においては、社長の命令と同じ課の直属の上司の指示では、上司からの指示のほうが影響力が強いはずだ。あるいは、もし何か意見を言いたいときは、いきなり社長に物申すことはなかなかないはずだ。まずは自分の上司に意見を言う。上司の頭ごなしにさらに上の人へ意見を言うことはないだろう。

ようは、大集団が影響力を持つことは少なく、その構成要素である小集団内の影響が強いのだ。このような社会構造であるため、末端で働いている社員にとっては社長は遠すぎる存在だということになってくるのだ。

これは、もうひとつの特徴である小集団の閉鎖性ともつながってくる。日本では小集団への帰属意識が強い。それゆえ、小集団の独立性が上位集団などによって脅かされる場合、強い抵抗を示す。これは人権意識が強い欧米で個人の尊厳や権利が侵されそうになった時と同じような反応だ。つまり、欧米でいうところの個人のような性質を、日本の小集団が持っているといえる。

こうした小集団の閉鎖性は、日本の公私混同な人間関係を生んでいる。仕事が終わった後も仕事仲間で飲み会に行くことはその最たる例だ。日本で残業が多いのも、公私の境目が曖昧だからこそ勤務時間中に仕事と関係ないことをしてしまうことに起因している側面はあるのではないだろうか。

 




 

「ヨコ」社会と、「タテ」社会の長所・短所

対して「ヨコ」は同質なもの全体が階層という同じ枠の中に収まっている状態のことを言う。いわゆる階級社会だ。イギリスはその最たる例だ。上流階級、中流階級、労働者階級という階級が定められており、その上下関係も明確だ。ただし、同じ階級の中はフラットである。イギリス以外としては、インドもカースト制度によって階級が形成されている。

この「ヨコ」社会では、階層間の移動が非常に困難である。生まれが労働階級であれば、上流階級に移動することはほぼ不可能。たとえオックスフォード大学を出ても、労働階級であるということは一生ついて回るのだ。

対して、日本のような「タテ」社会では、貧しい家庭に生まれ用会社の子に生まれようが、東大を出てしまえば同じ「東大卒」として社会的なステータスを得ることができる。社会的な階級間を移動することは比較的容易なのだ。これは、「タテ」社会のメリットだといえる。(ただし、親の経済力によって生まれながらにして格差は生じているという研究結果は発表されている)

「タテ」社会では小集団内の先輩・後輩関係が非常に重要である。これが息苦しいと感じる人がいることは事実だが、逆に言えばこのタテ関係を守りさえすれば、後は比較的自由に動くことができる。これは、見逃されがちな日本的「タテ」社会のメリットだ。

一方、「タテ」社会のデメリットとして孤立しやすいことが挙げられる。「タテ」が社会を構成する絶対的な基礎単位として存在しているため、この「タテ」関係を一度外れてしまうと社会的に孤立しやすい。前出のように「タテ」の小集団は閉鎖的であり、なおかつ「場」にいる時間的長さが重視されるために途中からその中に入っていくことは容易ではない。小集団を外れてしまった人に手が差し伸べられないのがデメリットの一つであるといえる。

また、小集団の閉鎖性は小集団の外に対する冷淡な態度を生みやすい。社会的な弱者に対して優しくないのがこの日本という国だ。レイプを受けた女性は本来助けを差し伸べられるべき存在の恥だ。しかし、「ひとりで人通りが少ない場所を歩いていたのが悪い」「露出の多い格好をしていたのが悪い」と被害者が攻め立てられるセカンドレイプなどは、日本の足鬼面の象徴のような現象だ。日本に蔓延するこのような「自己責任論」は「タテ」社会が生んだデメリットといえる。

対して、「ヨコ」社会では同じ階層内で助け合おうという意識があり、社会的に孤立しにくい。貧しい階層に属していたとしても、貧しいもの同士で助け合っていこうという意識があるのだ。これは日本の「タテ」社会にはない長所であり、日本にも取り入れていくべき部分であるといえるだろう。

 




 

今回の参考図書

いかがだっただろうか。

今回は中根千枝氏の著書『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書)を参考にこの記事を執筆した。

日本の社会構造について、諸外国の社会構造と比較しながらわかりやすく解説している。

これまで社会学に全く興味がなかった私を社会学へと駆り立てるきっかけになった一冊だ。その面白さは、私が自信をもって保証させていただく。

日本の社会構造や広く社会学に興味がある方にとっては必読の書であると思う。もしこれらに興味がある方は、ぜひ自分で手に取って読んでみてほしい。

 

関連記事

【世界の影の支配者】グローバリズムは誰のためのものなのか