日本の社会問題は学校教育から生まれている

日本の社会問題は学校教育から生まれている

2020年8月4日 2 投稿者: マツシタ
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みなさんは日本の社会問題といったら何が思い浮かぶだろうか?

自殺者の多さ?ブラック企業?女性差別?強すぎる同調圧力?

それでは、これらの社会問題がすべて学校教育によりもたらされたものだと言ったら驚くだろうか?適当なことを言うなと怒られるだろうか。

しかし、じっくりと見ていくとこんな考えもあながち間違いではないかもなと感じられるかもしれませんよ。一つずつ詳しく見ていくことにしよう。

 




 

皆勤賞という圧力

学校に欠席・遅刻なしに出席し続けた生徒は、皆勤賞として称えられる。もちろん、何の理由もないのに欠席するのは望ましいことではない。しかし、もし正当な理由があるにもかかわらず、「どんな時でも休まないことが偉いという価値観を無用に刷り込んでいるのだとしたら…

日本には自分がインフルにかかっているにもかかわらず出勤する人がいる。台風が通過するにもかかわらず社員を出勤させる企業や学生に登校させる学校がある。この記事の執筆日の朝には、コロナウイルスが流行していた時期に、発熱の症状があった人の6割は出勤していたというニュースも目にした。

組織は各個人にどんなに困難な状況でも根性と気合で組織に加わることを強要し、個人は個人で組織に迷惑をかけるからと「気合で」組織に加わる。

「どんなときにも休まない」が過剰に刷り込まれていることが、このような現状を助長している可能性は高いのではないか。

 




 

個人をしいたげてまで組織優先

かくして、日本では組織が何よりも優先される。

何か困難な状況に立たされている人に対して「それは自己責任だ」というケースが非常に多い。本当は組織が悪くてもだ。組織ではなく弱い個人に対して攻撃を加えることが非常に多いのは、日本に特徴的だという。そこには、個人の人権などみじんも考慮されていない。学校では人権について教えないからだ。人権について教育を施さず、「校則」という組織のルールに服従する義務についてのみ教えるのだ。

個人の側にも、組織を優先する意識は刷り込まれている印象がある。休みを取るときに「お休みをいただく」という言い方をするのはその最たる例だ。休みはいただくものではなく、全員に保証されている権利のはずだ。ここにも、権利を教えない弊害、休むことによって「組織に迷惑をかけている」という意識が見て取れる。

小学校から大学までで「組織を優先する訓練」をみっちり受けてきた結果、個人を犠牲にしてまでも組織のために尽くす。これは日本の美意識として語られることが多いが、組織の幸福が必ずしも個人の幸福とリンクしていないことは大きな問題であるはずだ。

 




 

日本の校則は人権侵害の見本市

先ほど、日本では人権について教わらない、人権を侵害してまで組織が守られるということを書いた。これも、もとをたどれば学校の「校則」が原因となっている部分は大きいと思うのだ。

たとえば、「暑くてもクーラーを入れてはならない」という校則があるという。改めて考えると、意味が分からないことではないだろうか。もしそれで熱中症になってしまったらどうするというのだろうか。クーラーが設置されていないならまだしも、クーラーが使えるにもかかわらず使用を禁止することで、生徒たちの人権が侵されていないだろうか。

また、「下着の色は白でなければならない」という校則というのもあるらしい。セクハラだろ。個人の自由はどうしたのだろうか。下着の色なんてどうでもいいはずだ。下着の色が学業に影響するという科学的な根拠でもあるのだろうか。こんな馬鹿馬鹿しい校則でも、生徒は何も言わずに従わなければならないのだ。

さらに、「女子は妊娠したら退学」なんていう校則まであるらしい。本来、妊娠した女児は、むしろ守られなければならない存在のはずだ。それが、「高校生なのにはしたない行為をした」という理由だけで、退学なんていくらなんでもひどいだろう。そんなだから日本は性教育後進国なのではないのか。「妊娠したら退学」ではなく「避妊するためにどうするか」を考えるべきだ。

上に上げたのは極端な例だが、「靴や靴下の色規制」「髪の毛が地毛である証明」「恋愛禁止」など、冷静に考えれば人権を侵している校則は、身近な学校にもあるのではないだろうか。もはや日本の学校の校則は「人権侵害の見本市」とでもいうべきものである。

最大の問題は、なぜそのようなルールがあるのかと教員に聞いても、多くの場合「ルールだから黙って従え」と答えてしまうことだ。ルールは黙って従うものだ、疑うべきでない神聖なものだ、といわんばかりに。いやいや、それ何の説明にもなってないから。

このような校則に何年も縛られているから、ブラック企業のブラックなルールを目にしても「そういうものだ」と受け入れてしまうのではないだろうか。ルールについて疑うこと、壊すこと、逃げることを知らない結果、悲惨な結果が待っている。

 




 

自殺するまで追い込まれても「逃げられない」日本人

かくして、日本人は様々なところから圧力を受けている。同調圧力。日本にはびこる諸悪の根源だ。

この同調圧力の一番の問題は、助けを求める声を上げにくい雰囲気を作り出してしまっていることだ。

たとえば、小学校では「両親に感謝の手紙を書きましょう」などとやることが多いと思う。もちろん、親に感謝することは大切なことだ。しかし、もしその子供が虐待を受けていたらどうだろうか。虐待を受けている子供にも親に感謝することを強要してしまったら、助けを求める声を上げにくくなってしまうのは間違いないはずだ。

このように、「みんなで同じことをしましょう」的な教育は、暗に「みんな」として生きることを強要してしまう。そこから外れることはいけないことだとばかりに。

だから、日本人は「みんな」の一員でいるために、「普通」でいるために必死だ。そこから脱落したら終わりだとばかりに。

日本人は自殺するまで追い込まれても逃げられないのだ。みんなも頑張っているから、組織から逃げてはならないという呪縛に取りつかれ、責任を「自己責任」として背負い込まされ、だれからも助けを差し伸べられず。組織の外にまだ助かるすべはあるのに、それが見えないように隔離されてしまっている。

どうしてもつらいのなら、逃げていいと思うのだ。みんなと同じであるべきだという圧力は気にしなくていい。組織やルールの縛りなんかからは、とことん逃げればいい。そしてたどり着いた先に、自分の理想郷が待っているかもしれない。

一つの道で行き止まりが見えたら、衝突する前に別の道に曲がればいいのだ。このことに多くの人に気付いてほしい。そうすれば、日本の自殺者数は減っていくと思うのだ。

 




 

今回の参考図書

いかがだっただろうか。

今回、参考図書とさせてもらったのがサンドラ・ヘフェリン氏の『体育会系』(光文社新書)だ。

ドイツ出身のサンドラ氏が、外からの視線を持って日本の社会問題をヨーロッパとの違いを絡めて分析し、その根源には日本にはびこる「体育会系」の学校文化があるとして論じている本だ。やはり外からの視点を持っている著者の切込みは鋭く、はっとさせられる内容も多かった。

とはいえ、個人的には欧米流を崇拝しすぎるのもいかがなものかと思う。たとえば、本書の中では学校行事には問題が多く、欧米のように学校単位の課外活動は廃止すべきだという指摘があったが、日本の学校行事は青春時代のいい思い出として残ることがおおいはずだ。来年から学校行事はすべて中止すると言ったら、教員や親はともかく、学生からは暴動がおこるだろう。

組織力は日本の武器である。これは間違いないはずだ。完全に欧米に同化する必要はない。日本の強みは残しつつ、問題が多い部分については欧米流の考え方を取り入れながら、いいとこどりを目指していく。これこそが、日本社会がより良い方向へ向かい、国際的な競争力を高めていくための最善の方法であるはずだ。

 

 

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