~フィンランドの教育方針は日本とは正反対!?~ 『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』を読んでみた

~フィンランドの教育方針は日本とは正反対!?~ 『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』を読んでみた

2020年5月30日 2 投稿者: マツシタ
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日本では、安倍晋三首相が教育無償化に向けて動いている。さらに、大学入試に関しても今年度からセンター試験にかわって大学入学共通テストが開始されるなど、教育業界は大きな変革期を迎えているといえるだろう。

しかし、教育というものは表面的な制度を変えても大きな変化は起こらない。もっと根底の部分、すなわち基本的な教育方針やそれにかかわる理念について改革しなければ、大きな成果は得られないだろう。

この教育理念の部分で日本と大きく異なるのが、世界一の教育と名高いフィンランドである。

フィンラドは人口約550万人の北欧の小国であるが、PISA(15歳児童の学習到達度国際比較)において多くの分野で1位を獲得し続けており、教育世界一の名声を得ているのだ。

そんなフィンランドと日本の両国で生活し、その教育を経験した著者の岩竹美加子氏が、その経験をもとに両国の違いに切り込んだのが『フィンランドの教育はなぜ世界一なのか』(新潮新書)である

今回はその中から特に大きな違いだと感じたものを厳選して取り上げる形としたい。

 

シンプルな教育

フィンランドの教育の最大の特徴は、そのシンプルさにあると著者は述べている

基本的に、学校行事はない。入学式などもなく、初めての登校の日でも生徒は普通の服を着ていく。始業式、終業式、運動会、修学旅行などもしかりだ。

学校と保護者の連絡にはメールシステムが利用され、日本のように大量のプリント類が配布されることもない。

宿題は多くなく、日本のように夏休みの宿題は出ない。なぜなら休みは勉強するためにあるのではなく、休むためにあるものだからだ

部活制度もない。スポーツなどは学校とは関係ないところで行う。

髪型や服装に関する校則はない。むしろ、校則は生徒たちが一緒になって決めることが多いという。これは、日本にも導入すべきなのではないか。日本ではブラック校則が話題となった時期もあるが、学生が自ら決めることでそのようなものは一掃されるはずだ。自分たちが決めたルールなら守ろうとする生徒も増えるだろう。

そして何より、自分たちがルールを主体的に決めるということを通じて、政治参加の模擬体験にもなり、若者の政治への関心を高めることにもつながるのではないだろうか。これはアクティブで良識ある市民に育てるという、フィンランドの教育理念を体現している。

 

 

子供の成長はテストでは測れない

フィンランドでは、授業時間は少なく、テストや偏差値、受験競争もない。それなのに様々な分野で世界一の成績をとれるのは、日本人からしたら不思議でしょうがない。

フィンランドの教育が目指すのは、子供ひとりひとりが自分らしく成長していくことである。当然、子どもたちには個性があり、関心や目指すものは一人ひとり異なる。自分らしい成長は一概に語れるものではないのである。だからこそ、フィンランドでは子供たちの自分らしい成長は、画一的なテストでは測れないという考え方をしている。他の子どもと同じ基準で競争し、順位を競うことに意味はないのである。

個々の関心が違うため、フィンランドでは高校生になると自分で時間割を組む。みんなそれぞれの時間割を持っており、しかも授業時間も少ない。月曜日から金曜日の時間割のうち、半分は空いているような状況だという。そのような状況なので授業が始まる時間も違えば終わる時間もまちまちだ。曜日によっては午後から高校に行く日もあるという。日本の文系大学生のようだ。

だからフィンランドでは、テストや偏差値がない。これは、そもそもフィンランドが平等主義を徹底していることも影響している。男女間の格差、個人間の格差を可能な限り排除している(たとえ女子でも男子と同じ内容の兵役を課す徹底ぶりだ)。その影響もあってストはもちろん、大学の上下関係も明確ではない。日本の大学に東京大学を頂点とした偏差値に依拠した明確なピラミッド状のヒエラルキーが存在するのとは対照的だ。

大学の上下関係がないということは出身大学によるエリート・非エリートの区別はない。出身大学の名前よりもそこで何を学んだかが重視される。日本も大学の名前などしょうもないものを見るのはやめて、本当のその人の人間的価値を見るようにしてはどうだろうか。

 

 

日本の道徳教育は非道徳的

最後に、道徳教育の違いについて取り上げよう。

日本の教育は、基本的にかなり上から子どもたちを押さえつけるような印象を受ける。そもそも登校・下校という言葉が、学校がお上にあるような印象を受けるものだ。また、「高等学校指導要領」について詳しく見たことがある人は少ないと思うが、その内容を読んでいて気になるのが、使役動作の多さだ。「履修させる」「理解させる」「考察させる」などの「~させる」系の動詞が多いのである。教育は国が下々のものに与えるものだというような印象がしても文句は言えないような印象なのだ。

それは、道徳教育にも反映されている。日本では、子どもの権利については教えない子供には、学校に行くという義務をただ全うすることを求めている。だから学校に行かないと不登校というネガティブな印象を持たれ、学校に行きたくなくてもいかないという選択肢がないように思わせるような同調圧力が生まれている。行きたくなければ、自分を守るために学校を休むという「子どもの権利」を教えないからだ。

その点、フィンランドは違う。フィンランドでは、子どもの権利について、学校の義務について、親の義務についてきちんと教える。こうすることによって子どもは自分の権利が守られていないと感じたら、権利を主張することができる。学校や親に義務を果たすよう要求することができるのだ。

また、フィンランドには学習の義務はあるが、学校に行く義務はない。基本的にはやはり学校に行くのだが、親が責任を持つことで学校に行かずに学習することも認められているのだ。

大学についてのところでもそうだが、日本は表面上のことについてしか見ず、本質的な部分について無視してしまっていることがあまりに多い気がする。学校に行くことは学習するための手段であって、目的ではない。目的が達成できるのならば、手段には柔軟性を持たせてもいいのではないだろうか。

 

いかがだっただろうか。

本文中では触れられなかった性教育やいじめの防止、兵役など、まだまだ日本とフィンランドの違いで興味深いものはたくさんあった。これからの日本の教育を考えていくうえで重要な示唆がたくさん含まれていた。

私もフィンランドの教育を全面的に見習えというわけではない。学校行事がまったくなくなってしまうのは、それはそれでさみしい気がするし、こうした課外活動から得られるものは多いと考えている。しかし、それでもフィンランドは世界で最も成果を上げている教育大国であるということは紛れもない事実だ。取り入れられる部分については積極的に取り入れていくべきではないだろうか。

それでは今日はここらへんで失礼します。

 

 

 

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