『ポジティブ・レフェリング』を読んでみた ~サッカーの審判のお話~

『ポジティブ・レフェリング』を読んでみた ~サッカーの審判のお話~

2019年11月22日 0 投稿者: マツシタ
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みなさんこんにちは。

みなさんはサッカーの審判と聞いてどのような印象を受けるでしょうか。トッププロのプレーを間近に見れて羨ましい?試合を裁く姿がかっこいい?どこかのチームのサポーターなら誤審によって苦い思いをさせられた経験があるかもしれません。

近年はビデオ判定(通称VAR)が世界各国で導入されていることでもなにかと話題になるサッカーの審判。今回はそんな審判にスポットライトを当てたお話。

日本サッカー協会の元審判委員長である松崎康弘さんの著書、『ポジティブ・レフェリング』を読んでその内容や感じたことをつらつらと書いていこうと思います。

 

「審判も試合を作る一部」

本書を読んで最も心に残っている言葉、それがこの章の見出しに書いた、「審判も試合を作る一部」であるという言葉。審判の試合さばきによって、試合は魅力的にもつまらなくもなるという言葉です。

サッカーというスポーツが他のスポーツと異なる点、そして最大の魅力の一つに、連続性があると思います。野球はそれぞれ攻守がはっきりと分かれます。テニスやバレーボールなど、ネットを挟む競技も、1打1打・1アタックごとに攻守が入れ替わっていると言えるでしょう。バスケットボールのように攻撃時間に制限もありません。

目まぐるしく攻守が入れ替わるスペクタクルな試合、押し込まれていたチームが素早い攻守の切り替えからのカウンターでスピードと迫力を持って攻め込むプレーは、どんな人が見ても面白いと思えるのではないでしょうか。

そのような連続的なプレーを遮るように、審判が頻繁に試合を止めてしまってはどうでしょう。スピーディーな展開が見られず、サッカーの魅力は半減するでしょう。

またサッカーは激しいコンタクトがあるスポーツでもあります。それを血の気さかんな男たちがやっているわけですから、試合が荒れてしまうことも。審判が選手をコントロールしなければ、後味の悪い試合になってしまうわけです。

サッカーの素晴らしさを引き出すためのレフェリングという視点

このように、審判の裁量によって試合が面白くもつまらなくもなるという、非常に重大な役割を担うのが審判という仕事なのです。

著者の松崎さんはまさにこの点を審判という役回りのやりがいだと語っていて、サッカーの素晴らしさを引き出すことこそ最高の喜びだと語っています。

そのためにはルールに書かれていることを把握し、反則がないかを監視するだけの「警察」になってしまってはいけない。そのためにルールブックに書かれていないことを積極的に行うようなレフェリングを、「ポジティブ・レフェリング」と名付けたわけです。

僕にはこの視点はなくて、やはりプロの審判は違うんだなぁとしみじみ。笑

 

審判も人間

一方で、松崎さんは審判業の難しさも語っています。やっぱり審判も人間ですから、メンタルの要素が重要になってくる。一つのミスジャッジを引きずって試合さばきが不安定になり、それを引きずっての悪循環に。結局、試合が荒れたまま終わってしまって選手から冷たい視線を送られたといいます。

確かに、誤審は許されません。しかし、審判も人間です。ミスをしない人間なんていないし、それは審判員にも言えること。

最近はSNSの発達により誤審の映像が広く拡散され、審判が総叩きにされているような投稿も見かけます。これは少しやりすぎかなと。ただでさえ精神状態の安定が重要な審判に対してこの仕打ちでは、審判も落ち着いて試合をさばくことは困難になってしまうのではないでしょうか。

VARに希望と影

だからこそ僕は序文でも触れたVARの導入に賛成で、ビデオ判定によって試合を左右するような誤審は劇的に減ってくると思います。審判が人間だからこそ起きるミスをテクノロジーによってカバーできるのなら、それは歓迎すべきことなのではないかというのが私の意見です。

ただし、VARがすべて良いかといわれるとそうではないです。まず、VARを確認している間は試合必然的に試合が止まります。場合によっては長時間にわたって確認作業が行われることも。こうなってくると、先述のサッカーの魅力、連続性に対する矛盾が生じてくることになる。また映像で見るとほんの少しのコンタクトもファウルに見えてしまうなど、VARは新たな問題も引き起こしていて、まだ試行錯誤が続いています。今後、よりサッカーの魅力を引き出すような形で運用できるようになってくるといいですね。

 

それでは今日はここらへんで失礼します。